ドイツ生活のはじまり

肉肉しい肉

ドイツ連邦共和国。


意外と知られていない、ドイツの正式名称である。


そんな国に降り立ったのは、この僕、なおや。


海外に住んだことがなかったので、旅する前からずっとドイツにはワーキングホリデーというビザを使って1年間滞在しようと決めていた。


なんでドイツかと言われると、もともとのドイツ人の友達はみんないい人で、昔ドイツに来た時も楽しかったし、ビールも好きやし、と何となく決めた感じはある


そんな中でバックパッカーにとってすごい利点は、ドイツは入国してからワーキングホリデーのビザに切り替えることができるということ。


だいたいのワーキングホリデーで行ける国は、事前に日本で手続きをして、ビザを入手して出発するという国がほとんどらしいが、ドイツ国内で切り替えられる。


期限に追われて旅するのは、 なんとなくやりたい事と違うなと感じていたので、いつまでに入国などの期限がないのが本当にありがたい。


数あるドイツにある街から、ドイツ南部、バイエルン州のミュンヘンに決めた。


なぜ、ミュンヘンにしたかというと、これは簡単で、6年前に鹿児島に旅行に行った時にドイツ人、トムに出会った。


トムは当時、日本語や日本の歴史を専攻のミュンヘン大学の学生で、なかなかの日本オタクという事もあり、出会いからずっと仲良くしていた。


そして最初の数ヶ月ならトムの家に住まわせてくれるとの事で、ずうずうしい僕は「それはそれは!どうも!ありがとう!」と速攻でミュンヘンに決めた。


いつも思うけど、僕は周りの人に恵まれて、助けれている。


トムの優しさといえば、バイエルン州で優勝ちゃうかなと思うほどで、朝の7時にミュンヘンに着いたんやけど、それでもきっちりと迎えに来てくれた。


しかもトムのお父さんも一緒で、2人は笑顔で迎え入れてくれた。


トムのお父さん、お母さんとも面識があり、前回僕がドイツに来たときと、彼らが大阪に来たときにウチの両親ともにお会いしており、もはや家族ぐるみでのお付き合いなのである。


優しさは遺伝で、お父さんも本当に優しく、今回早朝から朝食を持って迎えに来てくれ、後に飲むビールまで買ってくれた。


これは後日の話だが、ある日トム含め、他の友人と遊びにでかけ時に、帰りが遅くなっていた。


遅いといってもミュンヘンの中央駅に着くのが23時ごろだったのだが、中央駅のあたりは危ない。といって車で迎えに来てくれた。


僕たちどっちも、もうアラサーやから大丈夫やで。と言ったのだが、いつまでも子どもは子どもという愛情溢れるお父さんなのである。


今回はそんなフォルク家(トムの苗字)の、バイエルンいちの優しさに触れた生活を紹介したいと思う。


まずミュンヘンがどんな街かというと、キリスト教の中でもカトリック色の強い街で、中心街の名前も「マリアの広場」という名前。


神様がこの世を作ったときに7日目は休んだことから、ミュンヘンは今でも日曜日は安息日として、スーパーや洋服店やショッピングモールなど、レストラン、ホテル等以外のほぼ全てのお店は閉店しており、日曜日は体を休める、家族と過ごす日として定着している。


ちなみにお店は平日でも20時閉店で、正直日本とは比べものにならへんぐらい不便やけど、まぁみんなが休めるならそれもええか。とも思う。


同じドイツでもベルリンや他の街では営業しているらしく、カトリックが強いバイエルン州ならではと言える。


ドイツ人として働き出すと、カトリック税なるものが何と給料から天引きされ、払いたくない場合は「カトリックじゃありません届け」を出さんとアカンらしい。


そんなミュンヘンで生まれ育ったトムは、この風潮とともに生活しており、日曜日はよく実家に戻り家族でランチをしていた。


そんな家族団らんの時間に僕を誘ってくれて、お邪魔することにした。


トムの実家は大きいマンションで、入るとノンビリした時間が流れているのがわかる。


お母さんとも再会をし、トムのおじいさん、おばあさん、妹さん、オバさんともお会いすることができた。


ちなみにトムのおじいさんもお父さんも名前はトムで、親子三世代、同姓同名のトム フォルク。


日本人の感覚でいうと自分の父親とおじいちゃんと同じ名前なんて変な感じやなぁと思うが、それが家族の絆の1つであるように見られた。


おじいさんトムとお父さんトムは、僕たちがイメージするアニメに出てくるような、かっぷくの良い朗らかな男性で、見てるだけで癒し効果のあるようなそんな方々。


おばあさん、お母さん、妹さんも、同じようにどこかのんびーりとしてて、まさに余裕のある家族という感じ。


単純にこうして日曜日に家族が集まってランチするってホンマ幸せな時間やなぁとほっこりした気持ちになる。


お母さんのアネテさんは、料理が非常に上手でドイツの家庭料理をふるまってくれた。


ドイツ料理についてイメージがあんまり無い人も多いと思うが、お肉、ドーン!ポテト、ドーン!という豪快な料理が多い。


今回はローストポークに美味しいソースがかかって、サイドディッシュにはポテトをもちもちの団子にした、これまたガッツリ料理をこしらえてくれた。


箸休めならぬ、フォーク休めのサラダも用意してくれていたので、自分のサラダを取ろうとしたところで、あることに気づいた。


誰もサラダに手をつけていない。


自分のサラダを盛り、「誰かいりますかー?」と聞いても、「あー。そんなもん。いらん、いらん。」といったところで、肉とポテトをガンガン食べて、お腹を満たし、サラダ以外をお代わりをしていた。


最後にお母さんがちょろっとヨソッた程度で、ほかは誰も食べなかった。


僕もまぁまぁ食べる方やけど、日本人としては、逆にサラダがないと結構きついボリュームだったので、お肉のお代わりは遠慮して、残りのサラダを1人で全部食べた。


「なおやは野菜が好きなんやねぇ」とお母さんに言われ、特段野菜好きではない僕は、

「みんなの食いっぷりに驚いた。」というと「ドイツスタンダードよ!」と笑っていた。


ドイツ人の胃袋は凄いの一言である。


お腹も満たされ素敵な家族と僕で、美味しい食事で食卓を囲み、近況を談笑し、本当に素敵な時間だった。


ランチを終えたので、リビングに移動し、みんなソファーに座り、お母さんが入れてくれたコーヒーを飲みながらお腹をホッと落ち着かせていた。


お腹にも「よく頑張ったね。」と言ってあげたい気持ちである。


(やれやれ。ぼちぼちしたらおいとまして、昼寝でもしようかいな。)とボケーっとしていたところに、お母さんが持ってきてくれたのが、特大ケーキ3種類。


(すごいな、ドイツ。。。)


これはお腹の叫びである。


デザートは別腹なんて言うけど、これはもう一個、本格的な腹が必要なぐらいの大きなケーキたちであった。


お父さんとトムは甘いものが好きじゃないらしく、主に女性陣がワクワクした表情で、ドイツ人女性のパワフルさを感じていた。


これらはトムのオバさんとおばあさんが焼いてくれたケーキで、どれも本当に美味しそうで、お腹いっぱいやけど、僕としては食べない選択肢はなかった。


ワシも大和民族の血が通った男児やさかい、異国のケーキに負けるわけにはいきやしやせん。


と意気込みをいれ、お母さんに「じゃあ、それぞれ、ちょこっとずつ頂きます。」と確かに言うたんやけど、お母さんは「オーケーオーケー」といって、わざわざ2枚の皿に、みなさんの予想どおり、大きめのショートケーキぐらいのサイズを乗せてくれた。


(ケーキバイキング初めて来た女子高生の最初の皿やないねんから。。。)と思いながら1口づつ頂き、それはホンマに美味しかった。


海外特有の甘ったるい感じがなく、優しい愛のある味がした。


が、しかし、大和民族。その後、すぐに白旗をあげて、「後は持って帰って帰って頂きます」と言って包んでもらった。


完全敗北である。


横ではおじいさんトムとおばあさんがずっと仲良く談笑していた。


おじいさんトムは一人がけのソファに座り、笑顔で話し、このままディズニーランドのカントリーのエリアに座っててもキャラクターとして調和するやろうなという雰囲気である。


おばあさんが話し手、おじいさんが聴き手という構図で喋っていたのだが、満腹のおじいさんはコックリコックリと眠りにつきそうな様子やったけど、おばあさんはしばらく気付かずに話していた。


しばらく返事がないことで、ようやくおじいさんが寝ていることに気づいたおばあさんは


「あ!寝てる!もーう。まだもっと話したいのに。やーねー。」と言っていた。


何十年も寄り添っている相手と、まだもっと話したいなんてこんな素敵な人生あるんやな。と素直に思った。


とある日曜日やったけど、特別にほっこりした日曜日にしてくれたフォルク家のみなさんには、改めて感謝したい。

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