インド人のバイタリティー


道路のど真ん中でも牛は最強
  有名なガンジス川
綺麗な寺院
インドの旅も佳境に入ってきた。

日本よりも長い歴史を持つインド。歴史は偉大であると同時に、負の遺産も沢山残したな感じる事が本当に多くあった。

仏教にまつわる場所については、お釈迦様が悟りに気づいたところ、説法を初めて説いた場所、涅槃に入った(亡くなった)ところ等を巡り、2500年以上超えてもまだ、私たちの生活や考え方に多くの影響の残しているなんて、今時の言葉を借りていうと、史上最強のインフルエンサーやんけ。と思った

僕たちの世代では、自身は「無宗教」と考えている人が多いと思うけど、例えば「敬語」「年上を敬う」「協調性を大切にする」という日本人としての性格の特徴なんかは、典型的に仏教的な考えをもとにあると思う。

負の遺産としては、貧困の差が町単位ではっきり別れているなと感じ、恐らく古い時代からあるカースト制度(社会身分制度)の影響もあるのかなと思った。

カーストの身分によって就ける職業が決まっており、田舎では強くこの風習が残っているらしい。

インドでIT産業が盛んな理由として、IT系は新しい仕事でカーストに属さんから誰でも就ける職というのも理由にあるとか。


さて、今回はインドを訪れた際に見逃せない街、バラナシでの出来事。

地図で見てもわかる通り、インドは広い。

バラナシまでも例の寝台列車で数時間の旅で到着した。

前回と同じタイプの車両で、寝床が折りたたみ式というのを知っていたので、席につくやいなや
 「ちょっとすんまへんね。ベッド作らせてもらいまっせ」とすぐに横になることができた。

慣れたもんである。

バラナシといえば、インド最大宗教、ヒンズー教の聖地。

聖なるガンジス川を擁する街で、大阪道頓堀、東京原宿に並ぶほどの人口密度が街全体に広がっている。

バラナシに到着し、人を避けながら中心街に向かった。

その道中で、すごい人だかりをみつけて、何事か?!と思って覗いてみると、トラックから新品のバイクが納車されていて、それを見守るようにバラナシの人はトラックの周りに集まっていた。

(なんぼ見たところで自分のもんにはなれへんのになぁ。)と思いながら、バラナシ人の野次馬根性を発見した。

購入者の男性はその日のスターのようやった。

その野次馬たちを横目に、どこに泊まろうかな。とホテルを探していた。

ちなみに、ブッキングドットコムなどの大手サイトにもインドのホテル情報はあり、予約も可能なのだが、予約していざそのホテルにチェックインしようとしても、「え?なに?もう部屋空いてないで。」と言われることがほとんどで、「予約してるんやけど。」といったところで、「あっそ。でも無いもんは無いから。」という始末。

ふぇえええん。と泣きそうになる、インド人のたくましさである。

なので、インドでは宿は予約せずに、現地で飛び込みで空きを確認するスタイルに変えていた。

バラナシには旅行者も多く(といっても、行き交う99.9% はインド人)簡単に宿をみるけることができた。

「チェックアウトは15時やからねー」と言われ、パッと案内板をみると「チェックイン14時から」と書いてた。

「チェックイン14時やのに、15時まで部屋おってええん?」と尋ねると「ノープロブレム!」と返事。

(ほな、まぁええけど、プロブレムあるやろなぁ。)と思った。

このように、インドでは何か尋ねた時は大体「ノープロブレム!」と威勢よく返されるものの、根拠に乏しいのが現実である。

三輪バイクに荷台をつけたトゥクトゥクはインドでも広く利用されている交通手段であり、同じ方向向かっていく客を乗せるだけ乗せて出発するというスタイル。

最初はそれを知らんくて、なかなか出発せえへんなぁ。と思っていたらどんどん他のお客さんが乗ってきて、最終的に1台のバイクが15人乗せた荷台を引っ張るという、何ともインドな体験をした。

(狭いなぁ)と思いながら隣の人と目が合い、特に何も言うてないんやけど「ノープロブレム!」と笑顔で言ってきた。

「そうなんでしょうな。」と笑いながら、くれぐれも事故など多発しないように安全に気をつけてね。と思った。


バラナシはガンジス川を中心にあらゆるヒンズー教の文化を感じる事ができる。

有名なのは、ガンジス川の川辺での火葬で、ポツリポツリと火葬場があり、棺桶が遺族の方によって運ばれてくる。

あぁ、この方の人生は今終わり、自然に帰っていくんやな。と何とも言い表せ無い、自然の摂理を考える機会だった。

こういう公の場で火葬するというのもバラナシの風習なのである。


日本人観光客も多いようで、大学生ぐらいの年頃の日本人をちらほら見かけた。

ガンジス川周辺を歩いていると、驚くほど流暢な日本語で話しかけてきた人がいた。

「こんにちはー。日本人ですかー。」

日本人かと思うぐらいの発音で感心した。

「そうやでー。」と答えると、バラナシについて色々教えてくれた。

最終的に何か売りたいんやろな。と思ったけど、悪い人じゃなさそうやったので話を聞いていた。

彼の名前はジャイで、日本人向けに商売をしているとの事。

「バラナシ知ってる?日本人の友達いっぱいおって、バラナシ・ジャイで調べたら結構みんなブログ書いてるよ。有名だよ。僕は。」

とアピール。知らんがなと思いながら、「へーそうなんや。日本語うまいもんなぁ」と、トークは続く。

ジャイ「ここの場所から長澤まさみが川に飛び込んだんだよ。知ってた?ガンジス川入らないの。長澤まさみも入ったのに。」

僕「えーそうなんやー。知らんかった。でも僕は絶対入らへんで。ヒンズー教徒じゃないし。」

ジャイ「確かにね。ガンジス川はめっちゃ汚いよ。色んなところ教えられるよ。実は店やってて、ダボダボズボンとか良い品質の売ってるよ。押し売りしないよ、見にくる?」

僕「ダボダボズボンってようそんな言葉みつけてきたなぁ。見ての通り、僕はヒッピーじゃないからそんなズボンいらんねんけど、まぁ色々教えてくれたし見てみようかな。」

といい、ジャイの店に向かった。

小さいお店の中には何人かの店員さんがゴロゴロしながらスマホ触りながら出迎えてくれた。

「タージマハルは行くの?俺たちは行った事ない。写真でみたら十分でしょ。あはははは。」と笑っていた。

言ってた通り押し売りするような感じではなく、お茶まで出してくれて、のんびり過ごしていた。

「特に買うもんもなくてごめんやねんけど、色々教えてくれたから。」といってお茶代としてチップだけ置いてその場を去った。

インドでは観光客向けの旅行業者も多いらしく、10日間で10万ぐらいのぼったくりツアーを申し込んでしまう無知な若者も多いとの事で、ぜひ気をつけてほしい。

しかし、一方でジャイのような優しい人もいるので、難しいところである。

その夕方、もう一度ガンジス川のほとりを歩いていると

「こんばんわー。日本人ですかー。」と声をかけられた。

またしても上手に日本語を話している。

「私はラジャです。ここから長澤まさみ飛び込んだのしってる?」

(ん。。。?聞いたことあるセリフ。)

「日本人の友達がたくさん俺のことブログに書いてるよ。バラナシ・ラジャで調べたらでてくる、俺は有名人だよ。」

「店やってて、ダボダボズボンとかいっぱいあるよ。見にくる?」と言われた。

僕は「いや、それもう全部聞いたことある!」といいながら笑った。

ラジャも、「あーそう!もう見たんだね。あはははは」と笑っていた。

全く同じような話し方で、同じ内容を言っていた彼らは、きっと同じ人から日本人の心を開く話術を学んだんやなぁと思った。

でも二人とも日本には行った事がなく、ほぼ独学で日本語を習得したらしい。

二人のバイタリティーには感心あるのみで、日本人も負けてられへんなと思うと同時に、僕もせっせこ二人との出来事についてブログに綴っているのであった。

インドでは到底全てをブログに綴られへんほど、多くの新しい体験をして、ほんまに刺激的な1ヶ月やった。

3日目ぐらいに一旦、「げ。。僕1ヶ月もインドにおるんかよ。。はよ終わって欲しい」と思ってたんやけど、慣れてくるとその空気感が楽しくなり、最終的にはインド楽しい!となっている。

インドを出国してからは、またいつか来たいなぁ。と思うまでであり、何とも不思議な魅力を擁するインド。

決して楽に旅できるインドではないけど、ご興味のある方には、是非オススメしたい国である。

いよいよ、次回からはワーホリでしばらく滞在するドイツ。

旅は一旦休憩やけど、引き続きドイツでの生活や経験を載せていくので、更新を気長に待っていただけると光栄です。