ヒッチハイクの旅
オーストラリアもいよいよと最終戦になり、アデレートからメルボルンに向かった。
通ってた高校がメルボルンに姉妹校があり、どんな街か気になっていたのと、メルボルン在住の友達も多かったので是非行ってみたいと思い、オーストラリア最後の街として選んだ。
メルボルンの空港に降り立ち、まず最初に再会したのが、ドイツ人のデービット。
そう、以前にもこのブログに登場している、ミャンマーで出会ったちびまるこちゃんの山田くんの西洋人版みたいな彼。
彼もしばらく東南アジアをウロウロしてたんやけど、お金が底を尽きるとの事でオーストラリアでバイトをする為にメルボルンに滞在していた。
ミャンマーを去ってから約2ヶ月しか経ってないけど、1ヶ月間一緒に過ごしていた彼やからこそ、待ち合わせ場所に向かう僕は、まるで別れた恋人に再会するような、なんとなく複雑な、だけと心はスキップしてるようなそんな気持ちだった。
どんな気持ち。
待ち合わせ時間5分前に駅に到着してすぐ、彼からのメッセージが入った。
(あっ、デービットだわ。。。)
デ「ごめん、電車乗り遅れたから45分遅れるわ」
おい、ときめき返せよ。
いざ、45分遅れで到着したデービットもどうやら僕と同じような気持ちやったみたいで、僕をみつけるなり、
「えー、お前ー。マジでー。ここでまた会うなんて信じられへんわー。えー。」
とヘラヘラとニヤニヤを足して割ったような顔でハグして再会を喜んだ。
そんな僕たちが向かった先は、メルボルンから離れたトーキーという小さなまち。
なぜかというと、ここは「グレートオーシャンロード」という名前からして楽しそうなドライブコースのスタート地点のまちだったからである。
そして僕たちは、そのグレートオーシャンロードをヒッチハイクとキャンプで楽しもうと企てていた。
さらに幸運な事に、同じく旅中に出会った、イタリア人のヴァエリアがトーキーに引っ越ししており、家に泊まってもいいよと提案してくれていたのである。
ここで、ヴァエリアとの出会いの話をひとつ。
ヴァエリアと出会ったのがベトナムのハーロンベイだった。
たった1泊だけ同じ部屋やったんやけど、意気投合し、飲みに出かけた仲やった。
1晩だけやったけど、気さくで明るいヴァエリアとの出会いはとても嬉しかった。
そしてサヨナラして各々、また旅をしてたんやけど、その数週間後に、ベトナムの隣の国ラオスのバンビェンという小さい町の飲み屋でなんと偶然の再会をしたのである。
えー!まさかこんなところで!という心境やけど、東南アジアをまわっていると、これがちょくちょく起こるねん。
行き先は意外とみんな同じやね。
しかし、彼女とはまた別の町のルアンパバーンの路上でも偶然再会し、そこからまた離れた洞窟の中でも偶然再会。
そしてさらに、また国を超えてミャンマーの宿で、
「聞いたことある声やと思った!」とまたまたまたまた再会したのである。
もはや前世は双子やなという運命の繋がりの彼女なのである。
大阪おっても友達と偶然会う事なんてそんな無いのに意外と世間は狭いなぁと思わせる体験だった。
そんなことあるんやねぇと思っていただけたら。
変わらぬ笑顔のヴァエリアとも喜びの再会し、日本、ドイツ、イタリアの日独伊三国同盟と同じやなぁ。と1人で思ってた。
なぜ1人で思ってたかというと、歴史観と政治観は、国や個人によってかなり考え方や教育方法が違うし、トラブルの元にもなるので、よっぽどの事じゃないと僕からあまり話題にしないようにしてるのが、僕なりの国際交流の考え方。
熱くなるとめんどくさいだけなんやけど。是非ご参考に。
さて、僕とデービットはヴァエリアの家に一泊して、明日からヒッチハイクだ!と意気込んで寝た。
起きた。
昼過ぎやった。
僕「え、もうこんな時間やん。ダルない?」
デ「。。。なぁ。。。」
僕&デ「ヴァエリア様、、、もう今日はめんどくさくなってしまったので、もう一泊よろしいでしょうか。。。?」
二人ともズボラで計画性がまるでないのである。
ヴァエリアは笑いながら快くオーケーしてくれて、トーキーの町を何をするでもなくウロウロするだけどいう1日が終わった。
翌日は頑張って午前中に起きて、ヴァエリアと別れ、テクテクと大体大通りはあっちかなという方向に向かって歩いた。
僕「この辺でええか。多分方角的にあってるし。」
そして、ヒッチハイクといえば!の、行き先を書いた紙を掲げて親指を立ててみた。
僕「うわ、めっちゃそれっぽいやん。ちょっと写真撮ってや。」
デ「めっちゃええ写真。俺も撮ってや。」
僕「ええで。おぉ!ええ感じ!ほな写真も撮れたし、タクシー拾おか。」
という小ボケを挟んだだけやったけど、
「写真・・・撮ったから、、タクシーって!!ヒーッヒッヒッヒ」
と、デービッドは爆笑してくれた。
デービッドは僕のボケにホンマよく笑ってくれて「一緒にいて爆笑できる数少ない友達だ」とまで言ってくれる。
大阪でも「間」とタイミングを考えて、おもろい事いうたろ!とまぁまぁ考えてる僕やけど、笑いのセンスが違うドイツ人にも通用してよかった。
そして、肝心のヒッチハイクは、なかなか止まってくれないし、西洋人のジェスチャーの、両手のひらを上にしたあの「わけわかんないよ」というポーズをしてくるドライバーまでいた。
失礼なやつめ。
そして一台の車がようやく止まってくれた。
「君たち、LORNEに行きたいのかい? ならこの道は全く反対方向だよ」
本当に仕事が甘い2人である。
30分もまったく関係ない道でヒッチハイクしていた僕たちに、そりゃオーストラリア人も「わけわかんないよ」という事である。
気を取り直して正しい道まで歩き、ヒッチハイキングを再開した。
いかんせん、ドライバーはみな、ニヤニヤしながらスルー。
参ったなこりゃ。と思いながら、親指だけ立てるのではなく、笑顔を振りまき、愛想振りまき、手も振りながら、拾ってもらう作戦にでた。
すると、ニヤニヤしてたドライバーたちは、手を振り返してくれるようになった。
30歳目前に何してるんやろ、、、と頭をよぎったが、考えないようにした。
そして30分ほどして、男性2名の車が止まってくれ、相乗りさせてくれることになった。
なんと彼らもこれからグレートオーシャンロードをドライブするとの事で、全行程を一緒に行こうかと提案してくれた。
捨てる神あれば拾う神あり。
ベルギー人とアメリカ人の2人はレンタカーを借りてドライブしており、ヒッチハイクをする勇気はなかったそう。
そしてアメリカではヒッチハイカーを装い無差別殺人をする事件もあるようで、アメリカ人の方は僕たちを拾うのに大反対だったそうな。
気持ちはわかる。
そんなこんなで始まったヒッチハイキングの旅。
写真にもあるように、グレートオーシャンロードという名だけあって、オーストラリアの右下あたりを海沿いに進んでいくルートで、綺麗なビーチや、自然が作り出した景色に感動しっぱなしだった。
オーストラリアには無料のキャンプ場がたくさんあり、僕たちはテントで寝泊まりしながら計3日間のヒッチハイクの旅を終えた。
そこからはレンタカーを借りて、広い山々が広がるブランブック国立公園というところに向かった。
キャンプができるという情報以外なかったが、インフォメーションで聞けばええかと思い、いざ向かうと営業時間終了してた。
ほんま人生はうまい事いかんことも多い。
どないしよかなぁーと歌ったりダンスしてたら、1人の青年が同じようにインフォメーションに来ては、閉店ガラガラの文字をみて佇んでいた。
(ふっふっふ。こいつもまた計画性のない野郎だな。)と思った。
「開いてないやろー。これからどうするん?」と声をかけたら「何も考えてなんだよねー」とのこと。
そしてこいつもドイツ人だった。
きっちりしていると言われるドイツと日本の国民性だが実は、計画性があるようでないのかもしれない。
1人でドライブをしていた彼の名はモリッツで、せっかくやし一緒にバーベキューしようかとなり、3人でキャンプ地に向かった。
こんな山奥で出会って友達になるなんて、ほんま旅中は色々なことが起こる。
「ほな、僕とデービットが車で先導するからついてきて!」と意気揚々に伝え駐車場を出ようとしたが、僕たちは間違えて駐車場の出口ではなく、入り口の方に向かって立ち往生。
「速攻、道間違えてるやん!」と笑いながら、駐車場からでれない僕たちを冷ややかに笑いながら、正しい出口でモリッツは僕たちを眺め待っていた。
全く役に立たない先導役である。
キャンプ地では色んなグループが集まり喋りながら、カンガルーなんかも遊びにきたりして、満点の星空のもと、とっても楽しい夜だった。
次の日、僕たち3人はハイキングをしたり、湖で泳いだりした。
このモリッツは騒がしいタイプではないものの、ヘラヘラとおもろい事をいうタイプで、湖で泳いでいた時に
「日本人とか中国人とかの東アジア人は泳がれへんと思ってた。」
とサラッと差別的な発言。
いやいや。ちょっと待ちなはれ。お兄さん。
河内のカッパ人間と呼ばれたこの僕。
誰にいうてまんねん。
「ほんで東アジア人、合計で何人おると思ってんねん!」というと、「あ、ごめん」と言いながらヘラヘラ笑ってた。
「ほないっちょ、レースでもしましょか。ドイツ野郎!」
と宣戦布告。
いかんせん、僕は3歳から10年以上スイミングを習っていたので泳ぎには自信があり、モリッツよりも速かった。
「おやまぁ、ドイツの人はみんなすごく泳げると思ってたけど、大した事おまへんなぁ。」と皮肉で返し、面目は保たれた。
そして日本では寿司学校に3ヶ月通ってた話をすると、
モ「えー、寿司ってコメの上に魚のせるだけやんかー。なんでそんな3ヶ月も必要なん?」と返してきた。
いやいや。ちょっと待ちなはれ。お兄さん。
寿司学校のシャリ王子と呼ばれたこの僕。
「シャリの調合とか、素材の味を引き出すテクニックとか、その道に終わりはないんやで!寿司は奥深い食べ物なんや!」
というと、またもやヘラヘラ笑いながら、「へぇーそうなんや」と済ましていた。
日本大好き外国人を追ったテレビ番組も多いけど、特に興味もってない人はそんな漠然としたイメージしかないもんだよなぁと改めて実感した経験をしてオーストラリアの大地を去り、次の国、大国インドに向かった。